富山地方裁判所 昭和46年(ワ)154号 判決 1974年3月29日
原告 茶木与四郎 外一名
被告 国
訴訟代理人 河村光男 外一名
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実 <省略>
理由
一 原告らの子である茶木高郎(二〇才)は、国立富山大学教育学部二年に在学していたものであるが、同大学が原告主張のような要領で実施した昭和四五年度臨海水泳実習に参加し、水泳実習中、同年八月四日午前九時四五分頃、氷見市申波漁港入口中央付近で溺水し、同人の属する第八班の指導教官山下三郎講師らに発見救助されたが、既に仮死状態となつており、人工呼吸・酸素吸入などが施されたにも拘らず、同日午後四時三〇分頃同市本町広瀬病院で死亡したことは当事者間に争いがない。
被告は、当初昭和四六年一二月二四日の本件第二回口頭弁論期日において、高郎が溺死したとの事実を認めながら、その後右自白が真実に反し錯誤に出たものであるからこれを撤回する旨述べるので、右自白撤回の許否について判断する。被告は、高郎が右水泳実習中に死亡したのは、心臓麻痺に因るものである旨主張するが、<証拠省略>中、右主張に沿うごとき供述部分は、高部が大量に水を呑んでいなかつたことその他伝聞に基づくもので、いづれも推測の域を出ず、後掲各証拠に対比してにわかに措信できない。却つて、<証拠省略>を総合すると、高郎の死体には、左大腿、下腿、特に腓腸筋部が硬く緊張した所見があり、外見上も左関節、足背部以下が蒼白になつていたこと、高郎の死後肺の中の水分が泡状になつて多く出たことが認められ、右事実に後記認定のような本件事故後の同人の状況から考えると、高郎は水泳中、左大腿、下腿部の筋痙攣(いわゆるコムラがえり)を起し、そのため溺水し海水を呑んで窒息死(溺死)するに至つたものと推認できる。したがつて、被告の自白は真実に反するものとはいえないから、たとえ錯誤に基づいたものとしてもその効力に消長を来たさない。
二 ところで原告らの本訴請求は、国家賠償法一条に基づき、本件事故が被告国の公務員としての公権力の行使に当る指導教官らの過失に因り発生したものである旨主張して損害賠償を請求するものであるから、同人らの行為が公権力の行使に該当するか否かについて判断する。同法一条にいう公権力の行使とは、狭義の国又は地方公共団体がその権限に基づき優越的意思の発動として行う権力作用のみならず、広く被害者救済のため、公の営造物の設置、管理作用及び私経済作用を除く非権力的作用をも含むものと解するのが相当である。したがつて、本件のような臨海水泳実習は、大学における教育活動そのもので非権力的作用であるけれども、教官の学生に対する注意義務違背についても、同条の適用があるものと解すべきであり、これと異る被告の主張は採用できない。
三 そこで原告主張の過失の有無について検討する。
(一) 後藤学長及び頭川教授の過失について
(1) 監視体制
本件事故当時、臨海水泳実習場に原告主張のような救命用具が準備されていたことは当事者間に争いがない。しかして、<証拠省略>を併せ考えると、次の事実が認められる。
本件臨海水泳実習は、前年度の実施要領を踏襲し、同年七月一日頃教官会議で討議のうえ企画立案され、その実施要領を学内に掲示し、オリエンテーションで学生に配布説明されていた。右水泳実習は、高郎ら小学校教員養成課程の学生に対し、将来教員としての基本的資質となる水泳能力及び指導法、管理法、救助法、医事法などを身につけることを目的とし、一年次生を第一回、高郎ら二年次生を第二回に分けて実施し、事前に学生の水泳能力を調査のうえ、これに応じて約一三〇名を九班に編成し、それぞれ計画されたコース別に三日間指導することになつていた。そして総括者である頭川教授以下九名の各教官が一名づつ各班の指導教官になり、その指示に従い学生達が自主的に実習し、教官は担当する各班の学生の指導監視に当たると同時に、他の班の教官と相互に連絡のうえ互に監視し合うことを事前に申合せ、各班では事故防止のためバデイーシステムをとり、学生二人一組になつて互に協力して監視し合うことにし、更に泳力のある学生自身がサブリーダーとして教官の助手的役割をし、教官のみならず学生もまた右監視体制の中に組み入れられていた。そして砂浜に設置された本部テント内には前記救命用具を準備し、各班の指導教官が必要に応じ随時これを使用することにした。水泳実習場は、別紙図面<省略>のとおり区画ブイに囲まれた浅瀬(水深最高一メートル)を訓練水域と定めていたため、特に危険が予想されなかつたので監視台、監視船の用意はされなかつたが、予め和船一艘を借り受け、これを内突提付近の船付場に繋留して用意していたほか、地元氷見漁業協同組合に対して非常の場合は救助船の出動方を要請しておいた。なお、第三日目の遠泳(中波-仏島間約一・二キロ)実施の際には、中田海岸(体育専攻学生の水泳実習場)よりモーターボート三隻を曳航し監視に当らせることとした。更に事前に、清水医師及び石田校医、警察官派出所に連絡依頼して安全対策について協力を求めていたほか、看護婦三名を同行して学生の健康管理及び非常の場合に備えていた。富山大学では過去二〇回以上にわたり本件と同様の監視体制の下で中波海岸における水泳実習を実施してきたが、これまで事故の発生はなかつた。
しかして本件事故当時の監視については、別紙図面<省略>のとおり本部テント内において頭川教授が全体を監視しながら待機したほか、予め山下教官から要請を受けて第五班の田中教官(実習計画主任)が内突提付近の海中(A点)において、また第九班の山淵教官が外突提先端岩礁の上(B点)に立つて、それぞれ自己の班員の練習及び第八班の後記遠泳基礎練習を監視していた。
以上の事実が認められる。ところで、小・中・高校における児童・生徒の場合には、教師が親権者に代つてこれを保護監視する責任があり、特に臨海学校における水泳実習にあつては、常に直接水の危険にさらされ、溺水又は心臓麻痺等による死亡事故の発生する危険性が大きいことから考えて、右事故防止のため教師に高度の注意義務が課せられてしかるべきであるが、大学においてはこれと異なり、学生自身自己の行為の結果について判断する能力を有し、その自主的判断及び行動が尊重されるのであるから、教師としては学生の生命身体に危険を生じるような事故の発生が客観的に予測された場合に、これを未然に防止する措置を講ずれば足りると解するのが相当である。そこで本件について考えるに、前記認定のとおり本件水泳実習の実施に当つては、専門の常時監視員、監視台及び監視船の用意をしなかつたけれども、主に比較的危険度の少い浅瀬における実習であり、学生自身が成人であるためその自主性を尊重し、教官と協力し互に監視し合う体制をとり、必要な救命用具及び救助船等を準備して事故の発生を未然に防止する措置をとつていたものであるから、右監視体制が実効のないもとのはいえない。(<証拠省略>によると、水泳指導にあたつては、水洗場全体を監視している監視員が必要であり、監視台又は監視船にあつてこれを監視すべきである旨の記載があるけれども、<証拠省略>は専ら小・中・高校の児童・生徒を指導する教師用に編さんされた学習指導要領又はこれに基づくものであることが窺われるから、右は本件に適切でない)。
したがつて、この点に関する原告の主張は採用できない。
(2) 山下講師の選任
<証拠省略>を併せ考えると、山下講師は、本件の水泳実習に当り、高郎の属する第八班(上級班)の指導教官に選任されたが、同講師は、昭和三四年三月富山大学教育学部保健体育科を卒業し、大学在学中、四年間にわたり水泳実習(水泳基礎技術、遠泳、救助法、管理法、指導法等)の単位を修得し、卒業後も県内各地の小・中学校の教員として勤務の傍ら、同大学非常勤講師として約一〇年間(体育専攻課程の学生指導六年間、一般課程の学生指導四年間)水泳実習に参加してその指導を担当し、豊富な経験と熟練した水泳指導能力及び救助能力を有するものであり、これまで何らの事故も発生しなかつたことが認められるから、同講師の右指導経歴等に照らして指導教官としての適格性に欠けるところはなく、同講師の選任については聊かの過失も存しない。
してみると、後藤学長及び頭川教授には何らの過失も認められない。
(二) 山下講師の過失について
本件事故当日、山下講師が高郎ら第八班の学生一三名に対し、大学指定の水泳実習場から中波漁港外突提まで約五〇メートル(途中、同漁港入口付近は漁船の通行のため、巾約一〇メートル、水深一・四ないし二・四メートルの水路状をなしている)の海上を遊泳させようとしたこと及び高郎が第八班の班長をしていたことは当事者間に争いがない。<証拠省略>を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 富山大学では水泳実習に参加する学生に対し、予め石田校医による健康診断を実施したが、高郎は同年七月八日、同医師の診断を受けたところ何ら異常がなかつた。その後各学生から泳力等について調査表を提出させたところ、高郎は泳力を平泳約二五メートルと記載して提出した。しかし、同人は毎年夏には家の近くの岩瀬浜海水浴場で水泳していたので、水泳には可成り自信があつたが、かつて遊泳中コムラがえりを起し応急手当をして家に帰つたことがある。
(2) 本件事故前日、高郎は班員の互選により班長に選ばれたが、班長は主として教官と学生との事務連絡に当り、水泳実習中は精神上、肉体上特別の負担はなかつた。同日午後(二時~四時)、高郎ら第八班の学生(内女子八名、男子五名)は、泳力テストを受けた結果、全員五〇メートルないし一〇〇メートル以上の遊泳能力があるものと判定され、上級班として予定のコースに従い基礎泳法(立ち方、背泳、浮き方、クロール、呼吸法)の練習をした。その際、山下講師は学生達に水中における事故に対する快復処置についても指導した。また夜間(七時~八時)は、宿舎において、水泳指導の手びきをもとに、学生が小学校教員になつた場合に備えて水泳管理の講議がなされ、水泳中の注意事項を遵守させるようにつとめた。
(3) 指導教官は、毎日、午前と午後の二回、水温、潮流等の変化を調べ安全の確保につとめていたが、事故当日の気象条件は曇、気温二九度、風もなく、干潮は午前九時二三分(潮位二七センチ)で、水温は温かく(二四~五度)、潮流の変化もなかつた。同日午前九時より高郎ら第八班の学生は、砂浜で自主的に柔軟体操等準備運動をしたうえ、実習場の中で約三〇間平泳ぎの練習をし、一旦休憩した後、翌日の遠泳のための基礎練習として隊列を組んでブイの外側(水深一~一・三メートル)を一周約一〇〇メートル準備遊泳した。右遊泳の際の隊形は、バデイーシステム二組四人を横一列にして互に監視し合える態勢にし、外側に比較的泳力あるものを配し、女子学生を前二列、男子学生を後一列とし、後尾にサブリーダー格の学生笹岡幸雄を配置し、高郎は第三列の右側に位置していた。また先頭は指導教官山下講師が立泳ぎしながらバツクし、前方から全員の行動及び疲労度を観察把握するようにつとめた。その結果、女子学生二名の位置を変更し隊列の入れ替えが行われた。
(4) 前記のとおり、山下講師は遊泳に先だち、他の教官にも監視を依頼し、第五班の田中教官には内突提付近の海中より、また第九班の山淵教官には外突提先端より、それぞれ監視して貰い、第八班の遊泳を前後から監視できるように配慮した。そして、水中にて暫く休み、呼吸調整しながら集団行動の心得を指導した後、学生の身体状況をみて異常のないことを再確認し、到達点を指示したうえ、まず右隊形のまま泳ぎ開始点まで約二〇メートル(水深一・四~一・五メートル)水中歩行したが、女子学生一名は脱落してブイの方へ戻つた。既に第九班の学生は同一箇所を泳ぎ渡つていたので、これに続いて遊泳を始め、右隊形を修正しながら、内突提付近より外突提到達点まで約三〇メートル(途中約一〇メートルの間は背がたたない)を第一列より順次遊泳させたが、間もなく精神的に弱い女子学生一名は前記笹岡に連れられて内突提に揚つた。泳ぎ開始点より約一三メートル進行した付近で、高郎の隣りにいた学生が手を挙げて異常を知らせる合図をしたので、先頭にいた山下講師は約一〇メートルバツクして高郎のところへ急行した。
(5) この間、高郎は抜き手のような動作や背面浮き身を二、三回繰り返えしたので、同講師は当初同人が呼吸困難に陥つているものと認め、これを救助するため同人の腋の下へ手を入れて体を支えたところ、急に同講師の上体にしがみついてきたので、一旦これを離脱したうえ、高郎の背面に廻つて肩につかまらせて曳航を試みたが、再び同人がしがみつくので、腕を伸ばすように指示したところ、同人はその指示に従つたが間もなく同講師の下半身にしがみつき共に海中に沈められた。そのため山下講師は高郎を溺者と判断し、直ちに同人の後部に廻つてヘツドキヤリーの救助態勢に移り約二~三メートル曳航したが、同人が反転し再び下半身にしがみついてきたので、同講師自身海水を一、二回呑んだ。そこで同講師は咄嗟に外突提にあつた釣竿を学生に投げ渡すよう要請し大声で助けを求めたうえ、速かに釣竿を高郎に差し出したところ、垂直姿勢にあつた同人は竿につかまつたので、これを確認して同講師は曳航を始めたが、同人の身体が水平になつた時点で竿より手を離し、海中に潜没してしまつた。
(6) これよりさき、既に異常を認めた教官、学生及び付近の漁師達が救助活動を開始し、前記田中教官はスイミングヘルパーを持つて事故現場へ急行し、潜水して高郎の救助に協力し、また前記山淵教官は浮輪二個を持つて、更に頭川教官は内突提に向つて、それぞれ救助に駈けつけた。一方、事故を察知した救助船には笹川、金井両教官らが乗船して事故現場へ漕ぎつけ、その指示に従い、山下講師は直ちに潜水して高郎を発見し、水中より同人を船上に引揚げて救出した。この間に、外突提より漁師一名が飛込み、右救助作業に協力した。なお、右事故発生後、山下講師が救助活動をしていた時間は約一、二分であり、また高郎が潜没後右引揚げに要した時間も約二、三分位で、右は極めて短時間内の出来事であつた。
(7) そこで高郎を右船上に収容し、直ちに山下講師ら教官の手によりニールセン式人工呼吸を始めたところ、同人は泡状のものを二回位吐き出した。この時既に地元警察官派出所及び清水医師にも事故の発生を連絡し救援を要請していた。そして同日午前九時五〇分頃、船上で人工呼吸を続けながら船付場に到着したので、急を知らせて駈けつけた清水医師の指示に従い高郎を陸に揚げ、準備されていた毛布にくるみ、温湿布、下肢マツサージを施し、教官及び学生が交替のうえ人工呼吸を休まず続けた。
(8) 約五〇分後、清水医師の指示によりマウスツーマウス法の人工呼吸に切換え、山下講師らは懸命に人工呼吸を行い、高郎の蘇生を期待した。その後山本医師が来て診察し、続いて到着した日赤の林医師の助言に従い酸素吸入法に切換えることにつき、現場へ駈けつけた原告与四郎ら父兄らと協議した結果、午後二時頃氷見市の広瀬病院へ同人を救急車で移送することになつたが、その間も人工呼吸をやめなかつた。そして午後二時二〇分頃救急車が到着し、同四〇分頃広瀬病院へ同入を移送したので、石田校医も立会のうえ同病院において酸素吸入、点摘注射、心臓マツサージ等あらゆる処置が施されたが、遂に蘇生せず、午後四時三〇分頃同人の死亡が確認された。
以上認定の事実が認められるところ、原告は、高郎が事故直前他の学生より遙かに疲労していたのに拘らず遊泳を強行された旨主張するが、右主張事実を認めるに足る証拠はない。
そこで右認定の事実関係よりすると、山下講師は、事故当日第二日目に予定されていた遠泳の基礎練習を、高郎ら第八班の学生の健康、安全を充分注意しながら指導していたものであり、第九班に続いて前記内突提付近より外突提まで遊泳を開始したところ、不幸にも高郎が左足の痙攣(いわゆるコムラがえり)を起し、深みのため慌て、身体の自由を失い溺れたため、異常を認めた山下講師は直ちに急行してその救助に当り、必死にしがみつく同人を再三にわたり方法を変えて懸命に曳航しようとしたが、途中、同人が釣竿(予め用意された救命用具は使用されなかつたが、竿のような差し出してつかまらせるものも充分に救命具として役立つことは<証拠省略>により明らかである)より手を離して潜没したため、潜水してこれを発見し、画ちに救助船に引揚げて救出し、その後六時間以上にわたり蘇生を期待してあらゆる手段方法を講じて人工呼吸等を施したのであるが、遂にその効を奏しなかつたものであることが認められる。もつとも、同講師が高郎の異常を知らされた時、直ちに溺者と判断しなかつたため、これに即応した迅速かつ的確な救助手段を執り得なかつたのではなかろうかと思われないわけではないが、高郎の身体的事故は全く突発的で客観的に予測不能であり、前記認定のとおり、同講師は水洗実習の指導者として一〇年以上の指導経験を有し、水泳能力及び救助能力にも習熟していたこと及び救助活動をしていた時間は極めて短時間であつたことを併せ考えると、同講師の初期判断及びその後の救助活動が特に冷静さを欠き、自己の救助能力を過信した誤つた措置であるとは非難できない。
したがつて、他に特段の事実を認めるべき証拠のない以上、山下講師に事前又は事後の注意義務を怠つた過失があるとはいえないから、との点に関する原告の主張もまた採用できない。
四 以上認定説示の次第で、本件事故につき、後藤学長、頭川教授及び山下講師に公務員としての過失があるとは認められないので、右過失を前提とする原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却するほかない。
よつて、民訴法八九条、九三条に従い主文のとおり判決する。
(裁判官 土田勇 矢野清美 佐野久美子)